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 道路を走る危険物 〜タンクローリー事故
「安全と健康」誌 2009年10月1日発行

 プロフィール

◇ 教授 三上 喜貴 (みかみ よしき)

1975年東京大学工学部計数工学科卒業。通商産業省入省。 情報政策企画室長等を経て、1997年長岡技術科学大学教授。安全の制御設計に関する研究に従事。慶応義塾大学政策メディア研究科より博士号。




 タンクローリーの事故といえば、2008年8月、首都高速5号線で発生した横転事故(板橋事故)が記憶に新しい。 速度超過のためカーブを曲がりきれずに横転したタンクローリーが道路側壁に衝突し、満載していたガソリンと軽油で路面や側壁などが数百mにわたって燃え、 隣接するマンションの外壁も焼けるなどした。全面復旧したのは73日後という大事故だった1)。路上を走る危険物のいくつかの事故とその教訓について考えてみたい。

▽ LPガス噴出、炎上事故

道路上を走る危険物にはいろいろあるが、タンクローリーに絞ると、最も古い有名な事故は1965年に西宮市の国道を走行中の5t 積みタンクローリーが運転手の居眠り運転により横転し、 積荷のLPガスが噴出、炎上した事故がある。死者5人、重軽傷者26人、家屋焼失31棟という大惨事だった。科学技術振興機構(JST)の「失敗知識データベース」2)を検索すると、 タンクローリーの事故が13件ほどあるが、充填(じゅうてん)・払出中の事故が11件で走行中の事故が2件。このうちの古い方の事故が西宮の事故である。
この事故を契機として、当時の高圧ガス取締法施行規則が改正され、移動計画書の届出制、移動経路の制限、長距離移動の場合は運転手2人などという規則が設けられた。 危険物、特に可燃物を積載したタンクローリー事故の原点となる事故であった。


▽ 化学物質漏出事故

一方、有害化学物質の大規模な漏出事故として有名なのが、1997年8月5日早朝に東名高速下り線の静岡県菊川付近で発生したタンクローリー横転事故(菊川事故)であろう。 積載していた脂肪酸クロライド1.6t が流出、雨水と反応して塩化水素が発生した。事故発生は5時33分だが、当初漏れ出した危険物の正体が何であるか分からず、 6時13分には品名がクロロホルムであるとする誤った通報もあるなど危険物の特定が遅れ、出荷元作成の製品データシートが現地の消防本部にファクスで届いたのは、 事故発生から4時間後の9時36分だった3)。
危険物除去に必要な資材の確保、路面の清掃等にも手間取り、東名下り線は15時間も閉鎖された。周辺住民にも大きな不安を引き起こした。 事故後、危険物に対する非常時の処置が明記されたイエローカードの携帯などが関係業界でも励行されるようになった。


▽ 事故から得られた教訓

これらの事故の教訓は何か? まず運転手の疲労の問題が挙げられる。タンクローリーの運転手は普通車両の運転手よりは安全意識が高いと言えそうだが、 それでも疲労が重なれば事故につながる。板橋事故の運転手も前夜の睡眠時間は3時間半だった4)。
この事故では首都高速道路が運送事業者に対して45億円という巨額の賠償請求を行い話題になった。一般に荷主は請負先の運送事業者に対して保険に入るよう指導しているそうだが、 小規模な事業者の賠償能力の問題も提起された。
車両の危険物表示の問題もある。菊川事故の国会議事録を読むと、日本の道路は国際接続していない、というのが危険物輸送の国連勧告を採用しない理由だそうだが、 そろそろ考え直してはどうか。


    1) 首都高速道路株式会社、社長記者会見、2008年10月14日
    2) 失敗知識データベース:http://shippai.jst.go.jp
    3) 国会議事録、参議院総務委員会、2001年6月26日
    4) 国土交通省、自動車運送事業に係る交通事故要因分析報告書第3分冊、2009年3月






 
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